宇都宮地方裁判所 昭和43年(わ)205号 判決 1969年5月29日
主文
被告人を懲役三年に処する。
ただし本裁判の確定する日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、同居の実父夏蔵が従前から酒癖が極めて悪く、屡々家族に対し酔余の暴行迫害を加えて家族を苦しめ、昭和三三年五月には飲酒したうえ妻エチの実家に放火して懲役五年に処せられたことさえあり、昭和四〇年四月にはアルコール中毒症として精神病院に入院し同四二年一月まで在院して治療を受けたが、退院後も右酒癖は依然として止まず、家族らは同人の処置に困惑していたところから、かねて同人に対し深く不快の念を抱いていたものであるが、昭和四三年七月二四日深夜、肩書自宅において、数日前から仕事もせず引続き飲酒に耽つていた夏蔵が乱酔して「勝子とふみ子の頭を八ツ割りにしてやる」、「くたばれ、おつかあ」などと怒鳴りながら手当り次第に室内の物を投げ始めたので、被告人は施すすべもなく、母エチと右妹らが起居する、エチ経営の同町大字東小屋四二七番地友喜食堂へ赴き、同所から同町東小屋駐在所勤務の警察官に夏蔵を取り鎮めるよう依頼したところ、間もなく被告人方に向つた同警察官から、右夏蔵が被告人方に放火した模様である旨の通報を受けたので、普通乗用自動車(栃五は七六一二)に前記勝子、ふみ子らを同乗させてこれを運転し、右自宅に急行した。被告人が右自宅付近まで来ると、夏蔵が路上に出て来て被告人らに向つて投石を始めたので、被告人はこれを避けるため、いつたん右自動車を運転して同所を離れた後、翌二五日午前一時過ぎ頃、再び右自動車を運転して自宅付近の同町大字大原間二五三番地先道路上まで戻つて来ると、右路上に佇立していた夏蔵が被告人の車に向つて両手を拡げ、立ちはだかるような態度に出たので、被告人はこれを見、鬱積していた憤懣が一時に発し、とつさに同人に右自動車を衝突させようと考え、そのまま同人目がけて同車を進行させ、その車体の右前部を同人に衝突させて同人を右道路脇に転倒させ、さらに右自動車から降りたうえ、転倒した同人を右道路上に引きずり出し、短靴(昭和四三年押第六八号)ばきの足で同人の胸部、頭部等を数回にわたつて蹴りつけたり、手拳でその顔面部を数回殴打したりし、よつて同人に肝臓破裂の傷害を負わせ、その結果同月三一日午前一一時五五分同町大字豊浦六〇番地一〇菅間病院において、同人をして死亡するに至らしめたものである。
(証拠の標目)<略>
(法令の適用)
一、検察官は、本件公訴事実をもつて尊属傷害致死罪に該当し罰条として刑法第二〇五条第二項を適用すべきものとするところ、当裁判所は次に述べる理由により刑法第二〇五条第二項は憲法第一四条に違反する無効の規定であると考える。すなわち、
1 刑法第二五〇条第二項は直系尊属に対する傷害致死罪につきその法定刑を無期又は三年以上の懲役と定め、直系尊属以外の者に対する傷害致死罪の法定刑が二年以上の有期懲役であるのに比してこれを加重している。
2 ところで憲法第一四条第一項は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的・経済的又は社会的関係において差別されない。」と定め、個人の尊厳と人格の尊重を基調とする国民平等の原則を宣言し、憲法の基本原理に照して合理性の認められない一切の差別的取扱いを禁止している。
3 そこで、前記のように、刑法第二〇五条第二項が直系尊属に対する傷害致死罪について、一般の傷害致死罪に比し一般的に法定刑を加重することに果して如何なる合理的根拠があるかを検討するに、一般に直系親族は、生活を共同にすると否とにかかわらず、経済的精神的または肉体的各側面での協力扶助の関係と相互の情愛とに基づいて緊密に結合するのを常とし、このような直系親族の結合は、夫婦の結合と同様に、社会生活の基礎をなすものとして社会の維持発展に欠くことのできないものであることは述べるまでもない。故に、直系親族相互間の傷害は、具体的事案の個別的情状を捨象していえば、右の結合関係を破るものとしてその反倫理性反社会性は直系親族及び配偶者以外の一般の他人を傷害した場合に比して一層強く、従つてそのかぎりでは直系尊属を傷害した犯人に対する刑が一般の他人を傷害した犯人に対する刑より重くなければならないとすることは、道徳正義の要請に合致するところであつて当然である。そしてこの見地から、刑法第二〇五条第二項は、直系尊属を傷害した犯人に対し、一般の他人を傷害した犯人との間に罪質犯情の差等を認めて重刑を定めたものであると解するならば、そのかぎりでは右規定の合理性を是認するに足り、その当否はむしろ刑罰の機能とその限界に関する立法政策の問題に属すると考えられる。
4 しかしながら、刑法が、このような考慮に基づいて前記の規定を置いたものと解する以上、右見地からいつて尊属傷害致死罪に比してその背倫理性反社会性の程度を本質的に異にするとは思われない夫婦間の傷害致死罪についてはもちろん、直系尊属が卑属を傷害して死に至らしめる場合についても同様の規定がなければ首尾一貫しないはずである。
けだし前記のような直系親族間の生活関係は、現在の社会的事実としても一般通念としても、尊属から卑属に対する保護慈愛の一方的関係ではなく、この関係と不可分に結合して、卑属から尊属に対する扶養敬愛の関係が併存する相互的関係であつて、しかもそれは改正民法下の親族共同生活の基調である個人の尊厳と自由平等の原理に従つて、尊卑の身分的序列にかかわらない本質的平等の関係であると解さなければならない。
そこでこのような直系親族間の関係の相互性と平等性に基づいて考えると、直系親族間の傷害致死においてその犯人が卑属であるか尊属であるによつてその行為の刑法的評価に差等を認める理由はないと思われる。
5 そうだとすれば、刑法第二〇五条第二項が直系尊属を傷害して死に至らしめた卑属に対してのみその法定刑を加重したことは、直系尊属に対する傷害致死罪の反倫理性反社会性を重視する見地からもなお、前記卑属を、右見地からはいずれもこれと同等に取り扱うべき夫を傷害した妻、妻を傷害した夫または直系卑属を傷害した尊属に対する各関係において、不当に不利益に差別する不合理性が残るもの、というべきである。
結局刑法第二〇五条第二項は、同法第二〇〇条と同様、親族共同生活において夫婦関係より親子関係を優先させ、また親子関係において親子間の前記相互平等関係より権威服従の関係と尊卑の序列を重視する親権優位の旧家族制度的思想に胚胎する差別規定であつて、現在ではすでにその合理的根拠を失つたものといわざるを得ない。
よつて刑法第二〇五条第二項は憲法第一四条に違反する無効の規定としてその適用を排除すべきものである。
二、被告人の判示所為は刑法第二〇五条第一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、情状により刑の執行を猶予するのを相当と認め、刑法第二五条第一項第一号によりこの裁判の確定する日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。(須藤貢 藤本孝夫 武内大佳)